福島を想い、広島・長崎に頭を下げよう [戦争・鎮魂・引き継ぐもの]

フジテレビの韓国よりの姿勢、に対する書き込みの傍らに見つけた。
  「産経新聞の紙面に、広島原爆記念日の記事が無い」と。

産経NetView の紙面で確かめてみた。
  6日の広島も、9日の長崎も、無い。

日本人なら当然のように目にしていた写真はおろか、記念式典の記事が見当たらない。
とっさに、中国の高速列車事故の記事が、強制的に差し替えられた一件が頭を過った。
  何が報道されているか、よりも、何が報道されていないか、の重要性。

特に今年は、3,11 以降の福島原発の被害が長引くにつれ、
  人類は、放射能と如何に向き合って行くか、
という大きな課題が、人々の意識の中に芽生えている。

地震・津波という自然の災害と、人類が作り出した原子力の災害。
天災と人災の複合が、人類で唯一の原爆被爆国の日本で発生したのだ。

この現状を乗り越えるために、何から始めなければならないのか。
その思考の先頭に立たねばならない新聞が、何という有様か。


    原爆の犠牲になって、
      命を落した人、
      命は助かったものの、心身ともに苦しみぬいた人。
 
広島では、この1年間に新たに死亡が確認された5785人の名前が記載された原爆死没者名簿が慰霊碑に奉納され、死没者は27万5230人となった。

長崎では、3288人の名前が新に奉納され、死没者は15万5546人となった。

66回目の原爆の日。
今年、新に名簿に奉納された方々の、亡くなるまでの苦痛や悲惨・・・・。
死没者への想いを抱きながら懸命に生きていらっしゃる方々の、辛さ、悲しさ。

  長年放射能と向き合ってこられた方々に頭を下げることをしないで、
  どうして、これから、長い年月を放射能と向き合って行けるのか。


福島の問題は原発、原子力発電の範疇に収まるものではない。
電力不足、産業の米、そんな発想では対処できないのだ。

地球上に自然には存在しない物質を作り出してしまった後始末。
  人類史以上の年限を要する半減期。
  後始末の技術が無いままに、利点だけを利用し続けたツケ。
使用済み核燃料というゴミを後世に残す、という身勝手さ。
水の惑星である地球の恵みを、放射能で汚染して、何が科学技術だ!

貨幣価値という小賢しい計算では済まないのだ。
地球生命の存続、という根本的な課題を突き付けられたのである。


フジテレビが免許停止になっても、地球生命に影響は無い。
産経新聞が知性を放棄しても、人類は生き続ける。
  しかし、遺伝子を狂わせてしまったら、
人類も地球生命も、何も残りはしないのだ。


日本は、原爆と原発の両面で、放射能という課題に対して、
人類の代表として取り組まざるを得ない立場に立たされてしまった、
               ということである。


脱原発云々、そんな短絡的な記事で誤魔化されはしない。
報道関係者は、心すべきである。

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