外国人からの政治献金受取は議員辞職でしょ [民主党瓦解]

 政治家にとって、外国人から政治献金を受取るというのは、議員として最低の行為である。国を守るべき政治家が、国の外から金を受取るのは、国を売ることを意味するのだから。受取っておいて、国を売るなんていう気持ちは無い、とは言っても、金を出した方は、何らかの意味があるから金を出したのである。
 そんなことも考えが及ばないようでは、とても政治家は務まらない。

    参考資料: 前原氏、外国人献金新たに5万円・法人29万円
                              (2011年8月27日14時05分 読売新聞)

 民主党代表選に立候補した前原誠司前外相は27日午後、都内のホテルで記者会見し、2005年~10年までの6年間に、在日外国人3人から新たに5万円、在日外国人が代表取締役を務める法人1社から29万円の献金を受け取っていたことを明らかにした。

 全額返済済みで、11年分の政治資金収支報告書を訂正するとしている。

 前原氏は「私は在日外国人と知っていたが、献金をもらっている事実を知らなかった。事務所は在日外国人とは知らずに受領した」と説明。

 法人については、「代表取締役が日本名で社会的、経済的活動をしており、自分も事務所の担当者も外国人であることを認識できなかった」と述べた。

 政治資金規正法は外国人からの献金を禁止している。前原氏は今年3月、在日外国人から計25万円の献金を受けていたことが発覚し、外相を辞任した。今回、この在日外国人の息子2人から各1万円、別の在日外国人から3万円の献金が新たに判明したとしている。



 民主党の代表選に出馬表明した後で、身の潔白を示したかったのだろう。だけど、事の重大性を理解していたから、外務大臣を辞任したのではないか。
      大臣を辞任したけど、総理候補には立つ。‥‥何を言ってるんだ!

 知りませんでした。返金しました。政治資金収支報告書を訂正します。それで良いでしょ。

 冗談じゃない。

 政治献金を受取る行為は、その度に、受取っても良い相手かどうかを確認しなければならない。
 国民の代表である国会議員の政治資金は、日本の国民の金だけでなければならない。
 国会議員の活動の、最も初歩の手続きである。
     手続き一つ、確実に実行できない、というレベルなのだ。

 前の代表時代のメール事件では、メールの真偽を検証しなかった。最低限の手続きの一つだったのに、である。その結果、若い議員の政治生命を犠牲にしてしまった。彼は後に自殺している。
 全てが無責任に終っている。政権交代の後には、国交相として、八ッ場ダムの建設中止を声高に宣言したものの、いつの間にか放り出していたし、兼務の沖縄担当相としての働きも皆無。挙句は、昨年秋の尖閣漁船事件も、事件発生時は海上保安庁を統括する国交相として、船長釈放時点では外務大臣として、責任ある立場に在ったにもかかわらず、重大場面での登場は見られなかった。この人に任せておいたら大丈夫、という実績が何も無いのだ。

今回の代表選には登場しないものと思われていたが、ぎりぎりの時点で出てきた。
政治家としての倫理と能力の両方に汚点を残したままで、
    自分に総理の資格が有ると考えているのだ。

あんまり、国民を甘く見ないで欲しい。
彼が総理になったら、民主党は終わりだよ!


菅首相、心は他所に、長崎原爆投下日を8月8日と間違える [民主党瓦解]

あぁー、やっぱりね。

    参考資料: 菅首相、長崎原爆投下日を8月8日と間違える  (読売新聞)

 菅首相が9日、長崎市の平和祈念式典後に行った記者会見で、冒頭に「昨年に続いて8月8日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席させていただいた」と述べ、原爆投下日を間違える場面があった。

 長崎原爆遺族会の正林克記会長(72)は「原爆は国にとっての惨禍。その日を間違うとは、情けない気持ちでいっぱいだ」と憤慨。一方、この日、菅首相と面談した長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(71)は「首相も随分疲れているのだろう」と気遣っていた。


 式典のテレビ実況。彼の姿は、オマケにしか見えなかった。延長国会の山場、円高・株安、日本の現状だけでなく、アメリカの財政危機からS&Pによる米国債の格下げ、という世界情勢の変化。そんな折に、わざわざ来なくても・・・・。火曜日の午前中は閣議だから、と、硫黄島への訪問だって10分ほどで切り上げたんじゃなかったのか。
 来賓としての挨拶が長々と続く。言葉の軽さと自己顕示欲の現れに、やっぱりねぇ、という気持ちが強くなる。災禍に遭われた方々への気持ちが伝わってこない。
 自分のためのパフォーマンスの場が欲しかっただけなのだろう。彼の頭の中は、前日の日付が残ったままになっていた。原爆の日、には切り替わっていなかった、という現れ。体は式典参加、心は他所に。


   「国にとっての災禍の日を間違うとは」と憤慨した遺族会会長。
   「お疲れね」と軽く扱った被爆者連絡協議会議長。
      彼の来訪を正面から評価する人は居ない、ということだ。

ペテン師と呼ばれる人に、死者や被害者に対する哀悼の意を求めるのは無理である。
  記念式典に参列している人々と、心を共有することなど出来はしない。

地震・津波・原発・・・・死者や被害者に対する哀悼の意が無いから、有効な対策が打てない。


    広島も長崎も、福島も、ペテン師の土足が入り込む場は無いのだ。


時はお盆だけど、
  この人の家に仏壇はあるのだろうか。
  墓参りには行くのだろうか。
    真摯に手を合わせる、という行為が似合う人ではない、なぁ。


  祈りの気持ちが分からない人に、リーダーは務まらない。
      そういう結論に至るのである。

タグ:原爆 原発

福島を想い、広島・長崎に頭を下げよう [戦争・鎮魂・引き継ぐもの]

フジテレビの韓国よりの姿勢、に対する書き込みの傍らに見つけた。
  「産経新聞の紙面に、広島原爆記念日の記事が無い」と。

産経NetView の紙面で確かめてみた。
  6日の広島も、9日の長崎も、無い。

日本人なら当然のように目にしていた写真はおろか、記念式典の記事が見当たらない。
とっさに、中国の高速列車事故の記事が、強制的に差し替えられた一件が頭を過った。
  何が報道されているか、よりも、何が報道されていないか、の重要性。

特に今年は、3,11 以降の福島原発の被害が長引くにつれ、
  人類は、放射能と如何に向き合って行くか、
という大きな課題が、人々の意識の中に芽生えている。

地震・津波という自然の災害と、人類が作り出した原子力の災害。
天災と人災の複合が、人類で唯一の原爆被爆国の日本で発生したのだ。

この現状を乗り越えるために、何から始めなければならないのか。
その思考の先頭に立たねばならない新聞が、何という有様か。


    原爆の犠牲になって、
      命を落した人、
      命は助かったものの、心身ともに苦しみぬいた人。
 
広島では、この1年間に新たに死亡が確認された5785人の名前が記載された原爆死没者名簿が慰霊碑に奉納され、死没者は27万5230人となった。

長崎では、3288人の名前が新に奉納され、死没者は15万5546人となった。

66回目の原爆の日。
今年、新に名簿に奉納された方々の、亡くなるまでの苦痛や悲惨・・・・。
死没者への想いを抱きながら懸命に生きていらっしゃる方々の、辛さ、悲しさ。

  長年放射能と向き合ってこられた方々に頭を下げることをしないで、
  どうして、これから、長い年月を放射能と向き合って行けるのか。


福島の問題は原発、原子力発電の範疇に収まるものではない。
電力不足、産業の米、そんな発想では対処できないのだ。

地球上に自然には存在しない物質を作り出してしまった後始末。
  人類史以上の年限を要する半減期。
  後始末の技術が無いままに、利点だけを利用し続けたツケ。
使用済み核燃料というゴミを後世に残す、という身勝手さ。
水の惑星である地球の恵みを、放射能で汚染して、何が科学技術だ!

貨幣価値という小賢しい計算では済まないのだ。
地球生命の存続、という根本的な課題を突き付けられたのである。


フジテレビが免許停止になっても、地球生命に影響は無い。
産経新聞が知性を放棄しても、人類は生き続ける。
  しかし、遺伝子を狂わせてしまったら、
人類も地球生命も、何も残りはしないのだ。


日本は、原爆と原発の両面で、放射能という課題に対して、
人類の代表として取り組まざるを得ない立場に立たされてしまった、
               ということである。


脱原発云々、そんな短絡的な記事で誤魔化されはしない。
報道関係者は、心すべきである。

衛星を使おうよ、携帯電話もテレビ放送も [メディア]

● 電話に静止衛星を使おうよ

昨夜、11日(月)のNHK、クローズアップ現代で、
 「携帯がつながらない~災害時の備えは~」 を放送していた。

大震災の折に、頼みの携帯電話が繋がらなかったため、
  被災地では、助かった命も失われたのでは、とか、
  首都圏では、家族の安否が確かめられないために、帰宅を急ぐ人が増えた、とか。

原因として、
  基地局が地震や津波で倒壊した、とか、
  アクセスが急増したために、センターで閉塞した、とか。

そして、今後の対策として、
  基地局の蓄電容量を3時間から24時間に増強する、とか、
  津波の被害が及ばないように、高台に非常時用の基地局を建設する、とか。

そんなことを放送していた。

地震や台風、大雨での水害など、災害の報道のたびに思っていた。
いつもいつも、「電話が不通になっており、状況が分かりません」 だ。
まるで半世紀前の話と同じだ。

だけど、最近では、有線の時代を経ずに、衛星電話を使う国が多い。
一方、日本は、携帯電話と衛星が併せて論じられることは無い。
  有線の電線を使い続けるために、衛星電話に到達できないのだろうか。


● テレビ放送も衛星を使おう

    参考資料: 地デジ化は世界のスタンダードに逆行 欧米では超マイナーだ

 地上波と違い、全国に何万もの中継局を建てる必要もなく、衛星1波で全国をカバーでき、視聴者の数がどれだけ増えても番組の劣化が生じない。欧州各国では、そういった特性から、放送のデジタル化は衛星を使って進められた。日本でも難視世帯への救済策として衛星放送波が利用されている。


そう、すでに衛星設置は完了しているのだ。

しかし、この衛星によるデジタル放送は、テレビなどの受信機に内蔵されているB-CASカードによるスクランブル(暗号情報)で視聴が制限されている。難視世帯ではこのスクランブルが解除されているわけだが、・・・・


何のことは無い。既に投資して設置した衛星を使わずに、
  やれ、電波状況だとか、アンテナが対応していないとか、・・・・もう煩雑で。


            ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

携帯電話も放送のデジタル化も、時代の先端は衛星である。
通信と放送の融合、というのは、電信柱や基地局アンテナを介する必要は無い。
  銅線を使ったアナログ電話から、デジタル、携帯へと進化し、
  放送もアナログからデジタルへと切り替わる。
それなのに、何でインフラが地上にへばりついているのか。

  既存の電信柱や基地局の設備を使い続けたいから、か。

衛星を使えば、テレビも電話も、スマートフォンも、一本化できる。
テレビ、電話、パソコン、・・・・別々に料金を取られるのは不利益そのもの。
通信インフラを一本化すれば、多数の要員を抱えておく必要も無くなる。
結果として、料金が安くなることも、簡単に想像できる。
それが、技術革新の恩恵であろう。

世界的な大きな潮流に取り残されてはならない。


政治家失格、人間失格、愚行を見届けよう [民主党瓦解]

民主党政権の無能さが、今や誰の目にも明らかになりつつある。
そんな中、政権幹部の、卑劣としか言いようの無い行為が次々に報じられる。

使命どころか、人間としての常識さえ自覚しえていない、低次元の振る舞い。
    国政を預かる資格なし、その一言に尽きる。

            ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


●安住淳国対委員長
東日本大震災で急落した日本の存在感を回復させるため、松本剛明外相がゴールデンウイーク中に計画していた弾丸外遊に横槍。

  参考記事: これだから民主は…安住“男の嫉妬”で外相「弾丸外遊」中止
                                   (2011.04.23)


●玄葉光一郎国家戦略相(民主党政調会長)
被災地でのガソリン不足が深刻化していた先月半ば、自身の選挙区を含む福島県の一部だけに、緊急支援としてガソリンを配給するよう指示したという。

  参考記事: 民主“ゴリ押し体質”地元にガソリン配給しろ→タンクローリー大挙!
                                   (2011.04.21)

●岡田克也幹事長
東京電力福島第1原発の事故を受け、三重県四日市市の建設会社が17日、所有するコンクリートポンプ車を原発への放水に利用してほしいと国に申し出た。

  参考記事: チェルノブイリ封鎖と同型…三重の会社が放水ポンプ車提供申し出
                                   (2011.03.17)

3日間も返事が届かず、その間にドイツ企業の圧送車が先に現地入り。幹事長お膝元である三重県の会社が自民党推薦の知事候補の後援企業だったから・・・・。

  参考記事: 原発への生コン圧送車遅れた背景に岡田幹事長の政治的駆引き
                                   (2011.04.05)

            ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

政治って、国民の生命・財産を守るのが使命。
大震災の被災者が、支援物資が届かない、ガソリンが無くて動けないと、苦しむ中。
自分の身内だけに手を差し伸べて、どうする!
対立候補を後援する企業の協力は排除する。
そして、国際的な信用失墜を挽回しようとする外務省の仕事に横槍を入れる。

普通なら、仲間の軽率な行為に反省を促すのが、党を同じくする者の務めだろう。

しかし、この民主党、という政党には、道徳という視点は存在しないらしい。
遣りたい放題をするのが政権与党の特権、だとでも考えているのだろう。

国民として、我々の生命・財産を委ねるに値しない人達には、用は無い。
審判を下す日のために、しっかりと見ておこうではないか。
誰が、どんな発言をし、どんな行為をするのか、を。

タグ:人格

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